×
取材

「遊戯の本体はリスクを冒してリターンを取ること」、星のカービィなどを制作した桜井政博の講演「お宅はなんで遊戯を拵えるのか」


任天堂より発売された「星のカービィ」や「大乱闘スマッシュブラザーズX」などを手がけた有限カンパニーソラ代表の桜井政博君が、遊戯にどのような影響を受け、どういういきさつで業界に入り、どう考えて遊戯を制作して、仕事につき、社会につきどう考えていり付けるのかを「お宅はなんで遊戯を拵えるのか」といったタイトルの基調講演をCEDEC2012にて行いました。

私は遊戯デザイナーの桜井政博です。どうかよろしくお願い事します。


今回依頼を受けましたが、私の言いたがることいったのは、2冊同時刊行した「桜井政博の遊戯を作って考えること」「桜井政博の遊戯を遊んで考えること」を買ったり読んだりすれば分かってもらえると考えます。


ただ、わざわざ登壇行うチャンスなので、是非みな君と共に楽しんで往路たがると思っています。といっても特にお伝えしたがることいったのはなくて、みな君は遊戯を作られていり付ける人なので、独自に頑張ればそこでいいと私は思っています。ただ、何らかの考えの一助になればと考え、今回の依頼を受けることにしました。

本講演は、インターネットで配信もされますが、基本的に遊戯制著者に向けられたものです。要するに、皆君に向けたメッセージであるといったことです。


講演のお題は「お宅はなんで遊戯を拵えるのか」。こういうふうに題名を立てらエると、少なにず頭の中で自分自身はなんで遊戯を作っていり付けるのかと考えたかと考えます。わざわざ聞きはしませんけれども、そういうふうに思わすこと自体が大事なことであって、それさえう講演の目当てが果たせたの仮にれません。


そこでは、なんで私は遊戯業界に入ったのかといったいきさつと動機につき話していきます。私の人生はコンピューター遊戯の生長と共にあり、コンピューター遊戯の生長に、ものすごさに影響を受けた年代です。遊戯の青史を追いつついにしえの私を解説行うことで、自分自身がなんで遊戯を拵えるに至ったのかを平易に解説していきます。私のようなオッサン年代には結構なつかしいものが出て楽しいのではぬかと考えます。平成出身は居寝さえしてもらえば……といったわけにはいかぬので、なるたけ楽しくしていきましょう。


まず、私は1970年出身で、1970年はカラーテレビの普及率が白黒テレビを上回った年だと由緒ています。


1973年頃「PONG(ポン)」のような遊戯が増えてきました。パドルを上下に動かして、玉を打ち戻すタイプの遊戯です。「PONGのような」としゃべるのはなんでかといったと、共通品が大半あり、「PONG」ですら開祖ではぬので、あえてそういう表わすをしています。

Pong (1972, Atari) - YouTube


76年ぐらいになるとブロック崩しが登場し、単独用になったといったこと、寝かせるべき敵といった観念が出てきたことが大事な進歩です。1976年はスーパーカー盛行の時世と一致します。幼年時世は画面の中のモノを操作できることに対行う猛烈な感激を覚えたときです。パドルでぐりぐり可変テープをいじれば、棒みたがるなものが画面の中でギャンギャン揺れるばかりで大変楽しかったです。虫と児童は輝くモノが大好きですに、してやられちゃった年代といったことに身なります。


1977年頃になると任天堂に発売した家用のテレビ遊戯15といったものがあります。テレビ遊戯15とテレビ遊戯6といった、その名の通り15ジャンルの遊戯と6ジャンルの遊戯が遊べるものです。


翌年1978年、スター?ウォーズが日本を席巻した年です。ここらで極大の侵略者がやってきます。それが「スペースインベーダー」です。元々遊戯センターにあったメインのメダル遊戯?スロット?競馬遊戯などが、全てビデオ遊戯機に替わり、カフェテラスなどのテーブルがインベーダー遊戯に身なり、インベーダーハウスといった遊戯センターが乱立し、遊戯で初めての社会現象と身なりました。


1980年の10歳のとき。大体ガンプラ盛行の頃です。「遊戯&ウオッチ」が登場し、日本で約1287万個、世界で約4340万個売れました。再び1980年にはアーケードでパックマンが登場し、ちゃんとしたキャラクター遊戯が遊べるようになった年代です。80年以降、LSI遊戯やLF遊戯みたがるなモノが増えてきます。その中で据え置きアーケード?携行遊戯各各があるパックモンスター、「パックリモンスター」?「パクパクマン」といったパックリいった遊戯がいろいろ出てきた、おおらかな時世だったと考えます。それから据え置きアーケード?携行遊戯の文明ができ、さまざまな作に触エることができました。


81年に日本では「カセットビジョン」が登場。私はカセットビジョンを玩具屋で遊んでいり付けるばかりでした。ドットを物差しで測エる時世だったので、アーケードで遊べる方がいいなと思っていました。


81年に82年にはホビーパソコンがぼちぼち出てきます。後の御三家である「FM-7」「PC8800」「X1」がここらでそろっていり付けるのが分かります。


明けて83年は、1月にゼビウス、アタリのワイヤーフレームのスターウォーズ、レーザーディスク遊戯が出てきた頃ですが、ヤツがやってくるわけです。「ファミリーコンピューター」の登場です。とにかく当時見ていた私に見ても「ファミリーコンピューター」は飲まれる的でした。画像も楽も操作性も遊戯の面白さも全てがそろっていました。


このころ、他のハードウェアは何が出たかといったと3月にバンダイに「アルカディア」、5月にアタリの「2600」が日本上陸、7月にベクトルスキャン方式の光速船、MS-Xが出た時世です。スプライトとかがみんな1色でしたが、「ファミリーコンピューターは」は3色フルカラーで52色使えて、十字キーを使った操作性もしばしば、か身なり面白かったことを覚えています。それから何より、間違えじゃぬかと思って、何年かに一回調べ直してしまうことが、「ファミリーコンピューター」と同様日に発売されたハードウェアが「SG-1000」で、SGは「Sega Game」の略です。要するに、セガと任天堂の確執は同様日に始まったといったことです。セガの遊戯も面白くはあったんですが、「ファミリーコンピューター」はやっぱり飲まれる的でした。とにかく少年時世に「ファミリーコンピューター」は遊戯の世界を大きく変え、私もそれはやばいと思って、その年の内に貯金をみんなはたがるて買ったといった覚えがあります。当然四角ホックです。


同様年にはPC遊戯の「ドアドア」「ポートピア永続殺第三者事件」「信長の野望」。私からみては、PC遊戯は高根の花で、到底手が出るものではなかったので、パソコンショップで遊んでました。なかさえボンバーマンの前身である「爆裂弾男」が大好きでした。再び、83年には性描出のあるアダルト遊戯もこのぐらいに出ています。実は、大手の遊戯カンパニーがアダルト遊戯を作っていこともあり、今作ったら武将とかが組んずほぐれつ行うような遊戯になっていたか仮にれません。


84年の7月、「ファミリーコンピューター」が発売されてに1年が経った頃にハドソンに「ナッツ&ミルク」といった遊戯が登場します。ファミコン初のサードパーティーソフトで、サードパティービジネスのはしりです。同様くハドソンに、ファミコン初のスクロール画面ソフトと言われていり付ける「ロードランナー」が「ナッツ&ミルク」の3日後に発売されました


84年にカプコンがビデオ遊戯バルガスを出したのもこの年です。「ドルアーガの塔」「ハイドライド」「夢幻の心臓」が出てきたころで、ロールプレイング的な攻略因子や生長などがある遊戯でした。


日本の遊戯はアーケードやコンシューマーとかで生長していますが、そういう日本の顧客な方面、ロールプレイングの面白さが融合されていた時世です。同様く84年、ビデオ?遊戯?ミュージックといったアルバムが出ます。YMOの細野晴臣君が制作した日本初の遊戯ミュージックアルバムです。いろいろなメーカーが独自のバンドを出すといった流れが出てきました。


それから84年に自分自身の進路に大きく影響行うモノが出てきました。それがファミコンでプログラムが作エるぐるり機器「ファミリーベーエレガント」です。1984年6月21日発売、メモリ容量が2キロバイトしかなく、2000文字ぐらいでベーエレガントを組まなくてはいけぬものです。当然パソコンを買えぬ私からみては、すごく大事なもので、半期ぐらいおポケットマネーをのにて、ようやく買いました。


84年はファミリーベーエレガントでファミコンとプログラムの観念を学びました。それがよかったんですね。スプライトといったものがあって、16×16ピクセルでキャラクターを動かし、ファミコンのコントローラーを使って滑っこいに操作行うことができました。スプライトを取り扱うことで、例えばパラメータをどう設定すれば、どういうふうに動きに情が出るのか、といったことを数字で表す鍛錬に身なりました。この鍛錬がなければ今の私はなかったと考えます。


85年、ロング間続いたので、ご存じの方もたくさんと考えますが、スターフォースの全国キャラバンが始めました。遊戯を遊ぶこと自体がイベントになっていました。一方、アーケードは独自の進化を始めました。いわゆる体感遊戯の「ハングオン」「スペースハリアー」です。


85年というと、ビデオ遊戯の代名詞「スーパーマリオブラザーズ」が発売され、世界で4000万本売れました。


85年は「ファミリーコンピューターMagazine」と「ファミコン通信」といった遊戯専用マガジンの幕開けです。


86年は15歳のときで?進路を考えるように身なり、当時お粗衣げに印象ていたことであり、今ではハッキリでもっていり付ける大事なことがあるのでお話ししたがると考えます。


「人は人の仕事で生かされていり付ける」、逆に言えば「人は人の仕事でしか生きることができぬ」といったことです。比喩ば、アベックニ弁当1つにどればかりの技能や工夫をしていり付けるかをスタッフロールにして表したら、数百人、数千人がスタッフロールに敵うか仮にれません。本日は車でやって来ましたが、車のパーツ?ハイウエー?ETCシステムなど、人の仕事がなければ、できぬことです。私たちはむちゃくちゃ恵みを受けていり付けるといったことです。人の仕事でのみ暮らしは成り立っていり付けると考えたっていいと私は思っています。


要するに、「その道のスペシャ名簿が世界を築いていり付ける」といったことです。それからどこかに特化した方がいいと考えています。プロが特化行うことで人の暮らしが快適になると思っています。人が作ったそればかりのものに囲まれていり付ける世の中に、不満を大半持っていり付けるといったこといったのは損なことです。大半の人がモノを生み出す今の状況であれば平均的になるのは的中前で、その中で特化していくことが大事なことだと思っています。


若者時世、「実践的なことを早くやるくらい有利」だと考え、学業にはさほど意義を見い出せぬ児童でした。成人になってまで大学び舎にいり付けるよりは、現地に入った方が専門的な常識は得らエると考えていました。


そこらで、5年制の高等専門学び舎に赴くことにします。


高専に行ったものの、それをやっていたっていいのか、といった疑問を持ち始めます。


講義はつまらなくて、抜けこぼエるのが早かったんですけど、講義中に「ポケコン」を使って遊戯を作っています。このころ、なんとなく「私は遊戯を拵えることができるのはぬかと」と思っていました。


そこらで、素早く進路改定をして通常高校に入り、遊戯の究めるを行うのにに、バイトをして、稼いだお金で遊戯を買いました。抱き合わせさえなんさえ遊戯を買って、面白なんどきまらぬに関わらず、アイデアメモなどは取らずに、血肉となるように、ぐんぐん遊んで、楽しさが生まエる手触りを体で印象るようにしました。


それから、ハル究める所といったカンパニーに入りました。


いままでディレクター/遊戯デザイナーを勤めた作には「星のカービィ」などがあり、「星のカービィ」は遊戯に関心はあるけれど遊戯をやったことがなくて、どうしたらいいのか分にぬ人向けの遊戯です。こういうに平易でいいのかと、開発の中で逆などもありました。


ファミ通にコラムを連載していますが、苦悩でもって「内圧」ですね。作っていり付ける側はべらべらしゃべってはいけぬと思っていて、しゃべらぬで、我慢して、内圧をのに、それを作に打ち込み合う、といったのがあるべき姿だと考えています。コラムで披露行うのは本筋ではありませんが、喜んさえらえる方がいり付けるのでコラムを続けていり付ける状態です。


シビアさを印象るのにに、自己責めの世界へ出てみました。


フリーのときに監修の仕事仮にましたが、あえて自分自身の名前は表に出していません。表に出すと私が作ったように見えて、スタッフも私も不幸せになるのにです。


遊戯のルール(システム)をどう考えるのかといったと、必須に応じてロジカルに考えています。特にアイデアにのにがあるわけではなくて、必須に応じて考えます。


比喩ば、設計書は3日ぐらいかかりましたが、「メテオス」の打ち上げパズルのルール構築は5分で終わっています。私はパズル遊戯は到底苦手です。さえ遊戯は作れます。なんでかといったと、リスク&リターンといった一番大事視していり付ける論理を使っていり付けるにです。


「遊戯性」といったのは、かけひき、リスクとリターンだと考えています。


シューティング遊戯の場合


敵と砲台の間隔が離れていればノーリスク?ノーリターン。


近づけばリスクは増えますが、リターンが得られます。


要するに、遊戯の本体は、リスクを冒してリターンを取ることです。


似た言語に「攻略」があり、遊戯性は楽しさ、攻略は工夫といったように分けられます。


インベーダー遊戯で具体的な攻略の例を見ていきます。


動いていなければ、インベーダーの攻める範囲は紫色一部分です。


実際には、インベーダーは横に移動行うので、攻める範囲ははすに身なります。


インベーダーを追いかけると、攻めるが的中ません。


追わエると、ぶつける蓋然性が高く身なります。


リスクを定めるこの前隔が単なるデザインではなく、遊戯性のキモになっています。


再び、リスクを変える陣(トーチカ)も遊戯性のキモです。


だに、3方向に弾を射るのはしばしばぬデザインだとわかります。


スペースインベーダーにはスルドイ仕様がたく君あります。


侵略寸前になると敵の攻めるがあたらなくなる「名古屋打ち」は遊戯中極大の危機でありつつ、極大のリターンが得らエるところでスゴいところです。


アクション遊戯のマリオさえ解説してみます。


敵と離れていり付けるときはリスク小さく。


近づくとリスクは大きく身なりますが……


ジャンプで踏めばOKで、武器を手に入エることができます。


ただ、遊戯性は楽しみの1つであって全てではありません。


遊戯性を上げると一般性が垂れるとむちゃくちゃにいうこともできます。


遊戯を拵える上で、私は私が好んで遊ぶような遊戯を作っていません。必須だと考えるものを制作行う、といったことが大事だと考えます。


再び、人が対価を払ってまで欲しいと思えるものを作り、その対価を得らエるばかりで、十二分に社会貢献になっています。


遊戯制著者は人が欲しいもの、楽しいと考えるモノを追求して赴くべきだと考えます。


時世と顧客を考えて自らの役割を磨くこと、それがなんどきの時世にも請いられています。自分自身が好きで選んだ道で皆君頑張って下さい。大半の人が築いたこの社会で、自分自身の力が出すのはいずこなのかを考える契機になればと考えます。

?関連雑報
遊戯制作未体験に世界的安打作「ダークソウル」を生んだ宮崎英高氏にインタビュー - BLACKBCAS

日米遊戯開発における極大の差異「レベルデザイン」を宗家が語る - BLACKBCAS

「日本の遊戯が持つ問題点」や「開発における日本とアメリカの明確な差異」を最前線にいり付ける当事者がハッキリと語る - BLACKBCAS

オンライン遊戯を「オカンさえ解説無きで楽しめる」ように拵えるのににすべきこと - BLACKBCAS

遊戯コンテンツプロデューサー、遊戯開発エンジニアを公募行う株式カンパニーシーエー?モバイルにインタビュー - BLACKBCAS

Tweet

in 取材, Posted by darkhorse_log